就職活動 [禅]
「木崎、どっか受けたの?」
「いや、俺、大学院行こうかなあって思ってる。田中は?」
「俺、商社受けたけど、落ちたよ。ははは」
「商社でなにしたいの?」
「そんなの今考えたって、思い通りいかないって。」
結局、会社を選ぶ基準は何なのだろうか。
頑張って、面接の準備にとりかかる。
答えのない質問を自分に問うてみて、自分なりに答えを考えてみる。
この過程はもちろん大切なことで、自分の頭の整理をこの時期にやることに意味がある。
ただ答えが出るかは別問題。
「なぜB社でなく、A社を選ぶんですか?」
「いや、俺、大学院行こうかなあって思ってる。田中は?」
「俺、商社受けたけど、落ちたよ。ははは」
「商社でなにしたいの?」
「そんなの今考えたって、思い通りいかないって。」
結局、会社を選ぶ基準は何なのだろうか。
頑張って、面接の準備にとりかかる。
答えのない質問を自分に問うてみて、自分なりに答えを考えてみる。
この過程はもちろん大切なことで、自分の頭の整理をこの時期にやることに意味がある。
ただ答えが出るかは別問題。
「なぜB社でなく、A社を選ぶんですか?」
20××年春 [禅]
20××年。大学3年生の春、就職活動は始まった。
行きたい会社は特になかった。というより企業のことなど知らなかった。
街で見かける広告、TVや新聞といったものが、私の企業の情報源だった。
もちろん企業の名前は知っている、でもなにをやっているのかはよく分からない。
本音はこんなところだ。
大学4年生が近づいてくると、学生掲示板に企業のインターン募集の掲示が
増えてくるし、就職活動に対して周囲も徐々に情報を集め始める。
学歴社会を生きてきて、自分の偏差値を基準に選べばよかったこれまでの
学校選択と比べると、その選択肢の多いこと多いこと。
そしてまた自分は選択肢に対する知識も情報もない。
選択肢があることは素晴らしいことです。ただそれはいつの時代も迷いを生む。
迷った挙句、答えはどこにも書いていない。
その迷いに対する採点結果は、10年後、20年後、いやもっと後に帰ってくるのである。
親も先生も、友人も自分も誰も答えを持ち合わせていない。
途方もない宝探し。
学歴社会を生きてきた自分にとっては、本当の意味で「選ぶ」とか「探す」とか
そういう言葉で対象を考えたのは、この時が初めてかもしれない。
ここに自分のやりたいことって何だろうって加わる。
誰だって悩むよ。
近くの池でペダル付きのスワンに乗って楽しんでいたと思ったら、
いきなり大海原にスワンで連れていかれて、自分で行く方向を決めなさい
って言われるようなものなのだから。
行く先分からなくなって、彷徨う人がいておかしくないよね。
というより普通です。
この頃からでしょうか。
自分は何をしたいのか、何のために生まれてきたのか、
深く深く考えるようになったのは。
こうして自分もモラトリアムを終えなければいけないのか、と重い腰をあげるのでした。
行きたい会社は特になかった。というより企業のことなど知らなかった。
街で見かける広告、TVや新聞といったものが、私の企業の情報源だった。
もちろん企業の名前は知っている、でもなにをやっているのかはよく分からない。
本音はこんなところだ。
大学4年生が近づいてくると、学生掲示板に企業のインターン募集の掲示が
増えてくるし、就職活動に対して周囲も徐々に情報を集め始める。
学歴社会を生きてきて、自分の偏差値を基準に選べばよかったこれまでの
学校選択と比べると、その選択肢の多いこと多いこと。
そしてまた自分は選択肢に対する知識も情報もない。
選択肢があることは素晴らしいことです。ただそれはいつの時代も迷いを生む。
迷った挙句、答えはどこにも書いていない。
その迷いに対する採点結果は、10年後、20年後、いやもっと後に帰ってくるのである。
親も先生も、友人も自分も誰も答えを持ち合わせていない。
途方もない宝探し。
学歴社会を生きてきた自分にとっては、本当の意味で「選ぶ」とか「探す」とか
そういう言葉で対象を考えたのは、この時が初めてかもしれない。
ここに自分のやりたいことって何だろうって加わる。
誰だって悩むよ。
近くの池でペダル付きのスワンに乗って楽しんでいたと思ったら、
いきなり大海原にスワンで連れていかれて、自分で行く方向を決めなさい
って言われるようなものなのだから。
行く先分からなくなって、彷徨う人がいておかしくないよね。
というより普通です。
この頃からでしょうか。
自分は何をしたいのか、何のために生まれてきたのか、
深く深く考えるようになったのは。
こうして自分もモラトリアムを終えなければいけないのか、と重い腰をあげるのでした。
京都の禅修行 [禅]
10年前の夏、京都の禅寺の門を叩いた。
私は、生活において何1つ不自由は無かった。
健康で、妻がいて、子どもがいて、住む家もあり、服も買える。
食べるものに困っている訳でもなければ、友達がいない訳でもない。
ただ心はいつも満たされていなかった。
いつも何かが物足りなかった。
遠い後になって、この理由はなんとなく分かるようになった。
ただそれを書くことも、話すこともできない。
それは自分自身が心にしまっておけばよい。
自分さえ、信じられなくなる時があった。
自分さえ、、自分の何を信じられないのか?
人は、自分の何を信じているのか?
地球何周分かの思考を巡らせて、やっとたどり着いた末に今の自分がいる。
ただ歳を重ねただけだ。見かけの上では。
世界中を旅した訳でもない。見かけの上では。
誰かに相談した訳でもない。
けれど10年前とは違う自分がいるのは事実で、自分を救ってくれたのは禅である。
寺の説教を聞けば、自分を救ったのは自分だと言われそうだ。
自分を救えるのは自分。それも事実。
ただ自分を救う過程において、何かに救われるのもまた事実。
これから、10年前に1度戻り、徒然なるままにふりかえっていこう。。。
私は、生活において何1つ不自由は無かった。
健康で、妻がいて、子どもがいて、住む家もあり、服も買える。
食べるものに困っている訳でもなければ、友達がいない訳でもない。
ただ心はいつも満たされていなかった。
いつも何かが物足りなかった。
遠い後になって、この理由はなんとなく分かるようになった。
ただそれを書くことも、話すこともできない。
それは自分自身が心にしまっておけばよい。
自分さえ、信じられなくなる時があった。
自分さえ、、自分の何を信じられないのか?
人は、自分の何を信じているのか?
地球何周分かの思考を巡らせて、やっとたどり着いた末に今の自分がいる。
ただ歳を重ねただけだ。見かけの上では。
世界中を旅した訳でもない。見かけの上では。
誰かに相談した訳でもない。
けれど10年前とは違う自分がいるのは事実で、自分を救ってくれたのは禅である。
寺の説教を聞けば、自分を救ったのは自分だと言われそうだ。
自分を救えるのは自分。それも事実。
ただ自分を救う過程において、何かに救われるのもまた事実。
これから、10年前に1度戻り、徒然なるままにふりかえっていこう。。。